持ち味を生かす 星岡茶寮において、料理人の補充を京都の地に求めたのは、単に茶寮の幹部がみな京都人であるからばかりでなく、日本料理というものが、京都を源流にして発達しているからであって、京都という土地は、言わば日本料理の家元なのである。 今は京都も時世の推移とともに面白からぬ風潮が流れ込んで、持ち前の美風も、よい産物も、だんだんと失われていくようであるが、それでも家庭料理などを見ると、今もなお古えに思いつかれ、究められた、真の料理らしいものが、古河に水の絶えざるが如く、多少はその面影を今に残している。そのわずかの存続からでも、私たちの学ぶべきところのものは決して少なくないのである。まことに真の料理、合理的の料理、無理のない料理、無駄のない料理、美しい料理となっては、古えの京都ほどに発達したところは、日本のどこにもないのである。 しかるに、その反面、料理屋の料理、料理人の料理なるものはと言うと、このたび、諸君が腕をふるって、私たちに示されたものを見るにつけても、甚だ遺憾に堪えぬものがあるのである。料理の技法の点においても、その点睛のための味付けの点においても、甚だ不徹底極まるものであって、これがかつて、それぞれ京都一流の旗亭に在って、主要なる務めを果されていた諸君の仕事とは、どうしても受け取れなかったのである。しかし、事実は枉げがたい。そこで、わが京都の料理も、いつの間にか末に末にと走りつつ、邪曲の路に行くものであることを思わずにはいられない。塾の授業の動画配信サイトは塾の家庭教師で授業の動画配信